ギデンズ・コー監督の『あの頃、君を追いかけた』は、おなじみの構図から始まる。落ち着きのない少年、規律正しい少女、そして恋心を競争に変えてしまうクラスメートたち。物語の主な舞台は1990年代の台湾の高校で、主人公コー・チントンは、憧れていないふりをしている優等生シェン・チアイーへと、周囲から少しずつ導かれていく。この映画の魅力は、設定の目新しさではない。からかい合いや度胸試し、小さな反抗によって、思春期を神聖視することなく、いきいきと感じさせるところにある。
躍動感といたずらから生まれる恋物語
この映画のいちばんの強みは、躍動感だ。コーは、騒々しい仲間同士のコメディ、気まずい勉強会、校庭での勝負、そして視線や言いかけた言葉ひとつで場の空気が変わる静かな場面を行き来する。音楽や時代を感じさせる細部が、物語に生活の息づかいを与えている。携帯電話は今ほど便利ではなく、時間はもっと人目にさらされ、友情は使える場所のほとんどを占めている。こうした細部は過去を飾るだけではない。恋心が個人的な感情になる前に、まず仲間たちのいる場所で育っていく様子を見せている。
コー・チェンドンはチントンを、どこか憎めない厄介者として演じる。自信満々に見える彼も、実のところ、笑顔を浮かべたせっかちさにすぎないことが多い。未熟さをかばいきれなくなる場面でも、彼の軽妙な間合いのおかげで、チントンから目が離せない。ミシェル・チェン演じるチアイーは、また違った力を持つ。彼女の落ち着きは、ただ無垢でおとなしいということではなく、周囲の男子たちをさりげなく仕切る、能動的な知性の表れだ。二人の相性がうまくいくのは、磨き上げられた愛の言葉ではなく、ぶつかり合いや注意、競い合いを通して、惹かれ合う気持ちが形になるからだ。
男同士の友情を、使い捨ての笑いの道具にせず、物語の中心に置き続けている点も好きだ。下品な冗談や大げさな策略にはうんざりすることもあるが、それらが、優しさをからかいに隠すような、もっともらしい人間関係の輪を作っている。笑いには、意図的にむらのある手触りがある。微笑ましいほど子どもっぽいところから、必要以上に下品なところまで振れる。その不均衡は、たしかに作品の弱点だ。懐かしい思い出の中の出来事だからというだけで、振る舞いまで愛らしいものとして受け入れるよう、観客に求めることがある。
恋を定義するのは、誰の記憶なのか?
より大きな問題は、物語がチントンの視点に強く寄り添ったままであることだ。演技によってチアイーは生き生きと描かれているが、脚本は彼女の迷いや望み、彼女自身の内なる理屈に触れる機会をあまり与えない。この偏りがあることを映画は自覚しており、チントンの思い上がりをときおり彼自身に跳ね返す。そのおかげで、恋愛の描写には好ましい率直さが生まれている。それでも物語の感情の組み立ては、彼女が何を胸にしまっているのかより、彼が何を学ぶのかに関心を向けている。だからこそ、関係は、もっとも輝く場面が示すほどには相互的に感じられない。
心に残るのは、成長とは、きれいに教訓を受け渡すことではないという、この映画の理解だ。人は同じ瞬間に誠実にも身勝手にもなれる。冗談は気持ちを守る一方で、誰かを傷つけることもある。『あの頃、君を追いかけた』がもっとも説得力を持つのは、そうした矛盾をそのまま受け止めるときだ。とりわけ、笑いが通り過ぎたあとの沈黙にそれが表れている。おなじみのノスタルジーに寄りかかる場面では説得力が弱まるものの、生き生きとした演技と、若い日々の時間の流れを捉える細やかさによって、この恋物語には簡単には否定できない鼓動が宿っている。
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