ロブ・ライナー監督の『最高の人生の見つけ方』は、まるで正反対の世界に生きてきた二人の男を組み合わせる。エドワード・コールは億万長者の病院経営者、カーター・チェンバースは労働者階級の自動車整備士だ。病室をともにする患者として出会った二人は、残された時間が限られているかもしれないと知り、先延ばしにしてきた経験を追い求めることにする。死をロードトリップへと変えるこの設定から、映画は「リストが人生について語れること、そして語れないことは何か」という、より興味深い問いを浮かび上がらせる。[2]
チェックリストの奥にある友情
エドワードとカーターは、それぞれ異なる存在感を画面にもたらす。ジャック・ニコルソン演じるエドワードは、不快な状況を冗談や命令に変えることに慣れている。モーガン・フリーマン演じるカーターには、長年背負ってきた責任や人間関係に育まれた、静かな落ち着きがある。二人の相性こそ、この映画を動かす原動力だ。からかい合っても友情がすんなり築かれたようには見えず、違いがあるからこそ、見慣れた旅のモンタージュにも人間味が宿る。軽妙なやりとりのおかげで、物語が感動を誘う標語の羅列になることもない。エドワードのほうが声の大きな存在ではあるが、カーターは彼を和らげるためだけの引き立て役ではない。受け入れる強さを持ちながら、ただ受け身ではない。その均衡が、深まっていく二人の信頼に説得力のあるリズムを与えている。
この映画は、チェックリストがもたらすわかりやすい魅力を捉えている。リストがあれば、恐ろしいほど先の見えない時間も、どうにか向き合えるものになる。未来を思い描くのが難しくなったとき、登場人物たちに次の一歩を示してくれるのだ。新たな場所を訪れるたびに、病院の外で、かつて自分たちを定義していた役割を離れた二人の姿を見る機会も生まれる。冒険は大づかみで、ときに意図的な絵はがきのようだが、本当に変化が起きるのは、二人が交わす会話のなかだ。
物質的な自由と心の自由を並べて見せるところが、とりわけ好きだ。エドワードは、ほとんどの人が夢見るだけの場所へ、金を払って行くことができる。一方、カーターの暮らしは家族に根を下ろし、エドワードが金で手に入れることのできない来歴に支えられている。この対比は、どちらかの人生のほうが本物らしいという結論には向かわない。むしろ友情を通して、それぞれが何を欠いてきたのか、そしてすでに何を持っているのかが見えてくる。タイトルにもなっているリストは、はじめは行き先の寄せ集めだが、やがて日々のことに心を向け、後悔や人とのつながりを考え直すきっかけへと変わっていく。
人生を満たすものは何だろう?
ときには、難しい問いをすぐに理解できる教訓へとなめらかに整えすぎている。感傷的な展開は訪れるずっと前から予想できるし、旅の物語という構成のために、深い変化が現実よりもきれいに片づいて見えることもある。また、二人が旅に出ている間、家に残る人々にも、もう少し時間を割いてほしかった。映画の関心は主役の二人にほぼ集中しているが、家族の存在も感情的な賭けを左右しているのだから。
それでも『最高の人生の見つけ方』は、ひとことで伝わる設定から想像するより、温かく、思慮深い作品だ。誰もが人生の最後に贅沢な冒険をするべきだとは思わせない。むしろ、人生を思う存分生きたいと願うことは、印象的な経験を積み重ねることとは違うのだと、あらためて気づかせてくれる。意味のある人生は、何気ない忠誠心や、正直である勇気、ありのままの自分を相手に知ってもらおうとする意志によっても形づくられる。映画はその考えを整然とまとめすぎているかもしれないが、中心にある友情には、その整い方を支えるだけの心が通っている。
参考資料
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