1953年、大映京都で製作された溝口健二の『雨月物語』は、上田秋成の怪奇文学をもとに、戦の混乱に乗じて金欲と出世欲を追う男たち、そのために犠牲となる妻たちを描く作品だ。[1] ただし、この映画の恐ろしさは、幽霊が現れること自体にはない。暮らしを守る手のひらを振りほどき、まだ見ぬ富へ向かう欲望が、現実の家を少しずつ空洞にしていく。金と名誉は別々の夢に見えて、どちらも「いまここにあるもの」を軽く扱う点では同じである。その空洞へ霧が入り、いつしか人間の願いと死者の願いの境目がなくなる。『雨月物語』は怪談の衣をまといながら、誰もが見ないふりをする日常の破綻を、静かに映し出す。
霧のなかの欲望
舞台は壮大な歴史絵巻ではなく、土の窯、濡れた草、湖畔の小舟である。土と水の手触りが、戦争を抽象的な背景ではなく、暮らしのすぐ脇で地面を崩す力に変える。BFIが指摘するように、内戦を男たちの無思慮な欲望の寓話へ変えた時代劇であり、霧のなかに現れる舟や、謎めいた若狭の館への誘いが、現世を別の世界へ滑らせていく。[2] 画面の遠景は、人間を小さくする。しかしその小ささは無力さだけでなく、景色のなかでなお選び続ける責任を見せるための距離でもある。湖は境界ではなく、欲望が姿を変えて通り抜ける薄い膜のようだ。
溝口のカメラは、人物の心を近くで説明しない。クライテリオンが指摘する長いテイクと大きく流れるカメラの運動は、人物を追いかけながら、同時に彼らを取り巻く空間を手放さない。[3] ひとつのショットのなかで、歩く人、揺れる葦、遠ざかる舟が同じ時間を分け合うと、欲望は内面の告白ではなく、身体の移動として見えてくる。カメラが空間を見渡すほど、人物の言い訳は小さくなり、環境の重さが前へ出る。編集は感情を急いで断定せず、画面の外にある危機を待つ。その「待ち」が、幽霊の出現よりも先に、観客の呼吸を変える。静かな画面なのに、足元だけが絶えず流されている。
男たちの夢が前景に出るほど、妻たちの沈黙は背景にならない。国立映画アーカイブの記録には田中絹代や水戸光子らの名が連なっている。[1] 彼女たちが画面に置く沈黙は、画面の外へ追いやられた時間そのものを背負い、帰りを待つこと、子を守ること、疑うことを、派手な身振りなしに積み重ねる。出演者には森雅之と京マチ子も名を連ね、森の陶工が京の演じる謎めいた若狭に引かれるくだりは、現世と異界の境を揺らす。[2] ここで異界は女の誘惑を悪とする装置ではない。男が自分の欲望を「運命」と呼んで責任から逃げる、その言い訳の姿を映す鏡なのである。
家へ戻るための時間
早坂文雄の音楽は、怪異を大声で知らせるより、村の生活に混じる風や足音のように、画面の奥へ気配を残す。[1] だから戦乱の場面でも、恐怖は剣や炎の派手さだけから来ない。日常の音が途切れ、窯を焼く火、土をこねる手、家族の呼び声が遠のくとき、暮らしそのものが侵食されたとわかる。音のない瞬間が、画面の余白を広げ、その余白に見えないものの気配を住まわせる。上田秋成の物語とモーパッサンの要素から成る脚本だとクライテリオンは紹介するが、[3] 溝口は異なる文学の出発点を、戦争のただなかで誰が何を失うのかという一つの流れへ編み直した。音と編集の節度が、過去を遠い伝説にせず、欲望の現在形としてこちらへ返してくる。
それでも『雨月物語』は、欲望を罰して家へ戻ればすべてが元に戻る、という単純な教訓には落ち着かない。霧が晴れても、失われた時間は戻らず、帰還は赦しの完成ではなく、壊れたものを見つめ直すための遅い身振りになる。クライテリオンがこの映画を、戦争の惨禍、女性の苦境、男の誇りを見つめる作品と捉えるのは、その不均衡が最後まで消えないからだ。[3] その遅さは、物語を閉じるためではなく、観客の側に問いを残すためにある。水面に月が戻るとき、見えるのは幽霊の正体ではなく、人が自分の暮らしをどれほど簡単に手放すかという輪郭だ。『雨月物語』の美しさは、夢と現実を混ぜることではなく、夢から醒めたあとにもなお残る責任を、静かな時間でこちらに渡してくるところにある。
参考資料
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