欧州ホラー映画名作10選 · オカルト・ホラー · 魔女術と閉ざされた共同体が生む、色彩と音響の幻視的恐怖 · 1977

サスペリア

ダリオ・アルジェントの『サスペリア』を、原色の撮影、ゴブリンの音響、夢の論理、魔女映画としての余韻から読み解くレビュー。

日本で『サスペリア』と呼ばれてきたのは、ダリオ・アルジェントが1977年に発表したイタリア映画だ。2018年のリメイクではなく、スージーがドイツの名門バレエ学校へ入り、校内の秘密に触れていくオリジナル版である。日本初公開は1977年6月25日と記録されている。[4]学校という秩序ある共同体が舞台だからこそ、そこに入り込む不安は、未知の場所への戸惑いと切り離せない。秘密の内容だけでなく、周囲をどう見て、何を信じればよいのかという感覚の揺らぎが、観客をスージーの立場へ近づける。

色彩が先に見る悪夢

まず惹かれるのは、恐怖を説明する前に画面が感覚を奪うことだ。赤や青の光、黒い質感、幾何学的な建物が現実の学校を童話の舞台へ変える。BFIも本作を、夢のような論理とハイパーリアルな映像を結びつけた作品と紹介している。[1]色は場所を自然に見せるための補助ではなく、画面のどこへ注意を向けるかを左右する力として働く。建物の幾何学的な秩序も、安心できる見通しより、人物を囲い込む枠として感じられる。鮮やかさと黒の重さが同居するため、美しいものを眺める快楽が、そのまま居心地の悪さへ転じる。

その美しさは装飾ではなく、主人公の不安を外側へ押し出す装置だ。人物の表情や台詞より先に壁と光が警告を発し、観客は筋を理解するより早く、逃げ場のない空間を感じる。ここでは人物と周囲の釣り合いが重要になる。主人公の顔から心理を読み取ろうとしても、建物や色彩の存在感が注意を引き戻し、人間の理解だけでは空間を支配できないという印象を残す。画面を見渡すことが安全の確認にならず、むしろ不安の広がりを確かめる行為になるのだ。撮影の過剰さには好みが分かれ、感情への接近を妨げる面もあるが、均整よりも悪夢の持続を選ぶ姿勢は明快である。

音楽はさらに大胆だ。ゴブリンの実験的なスコアは旋律として場面を支えるより、金属音や囁きに近い圧力で身体へ届く。BFIが指摘する実験的スコア、けばけばしい照明、夢幻的なイメージの組み合わせが、物語を追う時間を聴覚的な警戒へ変えていく。[2]旋律に身を任せて落ち着くより、音の質感そのものに注意を奪われるため、見る側は次に何が起こるかを待つ姿勢から解放されない。映像の美しさに距離を取ろうとしても、音は身体へ迫ってくる。この視覚と聴覚の距離の違いが、悪夢を単なる鑑賞の対象にとどめず、逃れにくい体験にしている。

音が閉じ込める身体

ジェシカ・ハーパーの演技は、怯えを大きく誇張せず、理解しようとする視線を保つ。その静かな芯があるから、学校という制度の整然さと、そこに潜む魔女の気配が対照になる。周囲の色や音が過剰であるほど、演技の抑制は観客が状況を受け止める足場となる。スージーをただ恐怖に反応する存在にせず、不可解さに向き合う人物として見せる点が大切だ。ただし、恐怖の余白を残す一方、説明の省略と急な展開は人物の心理を深掘りしない弱点にもなり、物語の滑らかさを期待すると戸惑う。展開の速度が理解の速度を追い越すことは、悪夢らしさの源であると同時に、人物への共感を途切れさせる要因でもある。

それでも本作は、現実的な怪異譚より「見ること」そのものを揺さぶる映画として残る。BFIはイタリアで最も有名なホラー映画と位置づけ、魔女映画でありながらジャッロの図像を超自然へねじる点にも触れている。[2]さらにSight & Soundの2022年批評家投票では211位タイに選ばれた。[1]その魅力は、すべてを説明して恐怖を整理することより、色と音が理解に先行する状態を保つことにある。物語の粗さを無条件に長所へ置き換える必要はない。それでも、閉ざされた共同体の不安を感覚の圧力として受け取れる人、色と音に身を預けられる人には、今も鮮烈な悪夢だ。

参考資料

作品情報は以下の資料を参照しています。

  1. Suspiria (1977)
  2. 40 years of Suspiria: 5 films that influenced Dario Argento’s horror classic
  3. サスペリア(1977)

10eKokoroが書いています

台湾出身で映画を愛するバリスタ、10eKokoroの映画ノートです。

10eKokoroについて
10eKokoro's Dreamのサイトバナー:フィルムカメラ、ノート、コーヒーのある静かな机