日本の成人向け映画史20選 · 日活ロマンポルノ · 海とスクリーンが映す帰郷の不可能性 · 1973

海と記憶のあいだで――神代辰巳『恋人たちは濡れた』

海辺の映画館と故郷の記憶を軸に、神代辰巳が構図、音、反復、人物の権力関係で描く1973年日活ロマンポルノの青春像を読み解く。

成人向けの題材を含む作品を扱う評論です。性的題材は映画史と映像表現の文脈から非露骨に論じています。

1973年3月24日に劇場公開された本作は、海沿いの町へ戻った克が映画館のフィルム運びを始めるところから、故郷と自己を否認する青年の時間を組み立てる。76分という短さは説明の不足ではなく、過去を語らない態度そのものを形式にする。日活の公式解説が示すように、町の人々が彼を過去の名前へ連れ戻そうとするほど、克は軽い笑いと曖昧な返答で現在から逃げる。ここで帰郷は再出発ではない。海と映画館が、記憶を保存しながら同時に腐食させる場所として立ち上がり、青春映画の輪郭に不穏な陰影を与える。[1]

海辺の構図と記憶の傷

画面の中心に置かれるのは、人物の表情だけではなく、冬の海、荒れた町、フィルムを運ぶ身体の移動である。広がる海景は開放感を約束せず、克が戻れない過去を反射する暗いスクリーンになる。映画館の内部と海辺の外部を往復する構図は、現実と上映、現在と記憶の境界をゆるめる。海外の上映館による作品紹介が指摘するダイナミックなカメラは、人物を安定した中心に固定せず、視線を町の壁や道の端へ押し出す。さらにブルハージュ的な乳剤へのスクラッチは、見えるものを傷つけながら、映像そのものが忘却の抵抗であることを示す。[2]

音の設計は、海の寒さと町の沈黙を前景化する。日活の資料に記された大江徹の音楽は、人物の感情を説明して導く伴奏というより、克の空白に薄く触れる膜として働くように響く。映画館ではフィルムの運搬や上映の気配が、海辺では風景の広がりが、言葉より先に空間の圧力をつくる。会話が過去を確定しようとするたび、音の余白はその確定を遅らせ、聞き手を不安定な位置に置く。映像と音が完全には一致しない瞬間、帰郷は懐旧ではなく居場所の喪失となる。沈黙は単なる雰囲気ではなく、語る権利をめぐる社会的な緊張として残響する。[1]

物語は「お前、克だよな?」という呼びかけと、「この町は初めてだよ」という否認の往復で進む。過去を回想場面や説明台詞で回収せず、同じ問いの角度を少しずつずらすことで、主人公の名前は個人情報ではなく、共同体が押しつける役割になる。克は過去を忘れたのか、忘れたふりをしているのか、その判定さえ観客に委ねられる。フィルム運びという仕事も重要だ。彼は他人の物語を運び、上映のために映像を届けながら、自分自身の物語だけを拒む。映画館は身元を確認する場所ではなく、反復と複製によって記憶の所有者を揺さぶる装置になる。[1]

否認する青年とジャンルの批評性

女たちとの関係も、青年の再生を保証する救済譚にはならない。映画館主の妻らの欲望や好奇心は、克を一方的に所有するためだけのものではなく、閉ざされた町の権力配置を露呈させる。誰が過去を語り、誰が沈黙を選べるのか。誰の視線が相手を説明し、誰が説明される側に置かれるのか。本作はその非対称性を、親密さの場から慎重に浮かび上がらせる。成人同士の情動を描きながらも、性を消費的な見世物へ回収せず、孤立、交渉、依存、拒絶が交差する関係の問題として扱う点に批評性がある。神代の演出は人物を善悪の類型に閉じ込めず、欲望が救いにも支配にもなりうる不安定さを保つ。[1][2]

日活ロマンポルノの枠内でありながら、作品の核は刺激ではなく、1970年代の若者に残る浮遊感と倦怠感、そして男の孤立である。日活自身が本作を神代辰巳の青春映画として位置づけ、共同脚本の心象が反映された「男の映画」と説明する一方、海外の上映館による紹介はその魅力を、ジャンルの制約のなかで可能になった人物描写、運動するカメラ、乾いた不条理として紹介している。川崎しんゆり映画祭の公式プログラムも、海辺のさびれた映画館と自己否定を作品の入口に据えた。三つの紹介を重ねると、本作は成人向け映画の枠を借りながら、町からこぼれ落ちる者の時間を描く映画史的な実験として見えてくる。海は過去を消さず、スクリーンは現在を保証しない。その不確かさこそが、いまなお映像を濡らす。[1][2][3]

参考資料

作品情報は以下の資料を参照しています。

  1. 恋人たちは濡れた | 映画 | 日活
  2. Lovers Are Wet
  3. 『恋人たちは濡れた』作品ラインナップ(KAWASAKIしんゆり映画祭)

10eKokoroが書いています

台湾出身で映画を愛するバリスタ、10eKokoroの映画ノートです。

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