『ラ・ラ・ランド』は動きから始まる。強い青空の下で立ち往生する車、そして高速道路を舞台へと変える人々の身体。この映画がロサンゼルスを、現実そのままの街というより、踊り抜けることのできる気分として描くのだと、冒頭から告げている。ダミアン・チャゼルが、作り物めいた世界をためらいなく表に出すところが好きだ。世界は現実以上に鮮やかに描かれるが、そこでの挫折には見覚えがある。オーディション、割の合わない仕事、そして次の挑戦こそ何かにつながるかもしれないという頑固な希望だ。
動き続ける恋
ミアとセバスチャンは、諦めないための術をすでに身につけようとしている二人として出会う。彼女はオーディションを受けて回る俳優で、彼は生計を立てながら、自分の考えるジャズを守ろうとするピアニストだ。二人の惹かれ合いは、会話と同じくらいリズムを通して育っていく。交わされる視線、軽口を遮るようなやりとり、そして自分と同じことに心を奪われた相手に理解される安堵。エマ・ストーンとライアン・ゴズリングがこの関係に説得力を与えるのは、二人の魅力にぎこちなさも含まれているからだ。すんなり恋に落ちるのではなく、何度も拍子を外しながら、やがてリズムを見つけていく。
この映画の何よりの魅力は、色彩、空間、音を織り上げる振付にある。衣装は夕暮れを背景に鮮やかな色のかたまりを浮かび上がらせ、ジャスティン・ハーウィッツの音楽は、繰り返される旋律を心の空模様へと変えていく。カメラは安全な距離から眺めるより、しばしば演者とともに動く。そのためダンスは、いままさに決断が形になっていくように感じられる。渋滞も、ありふれたアパートでの集まりも、舞台めいた輝きを帯びる。こうした華やかな趣向は、単なる飾りではない。野心が、見慣れた風景を一瞬だけ想像力に開かれた場所へ変えることを示している。
チャゼルはまた、夢が単なる個人的な願いではないことを理解している。夢を実現するには、観客や協力者、資金、タイミングが必要で、ときには守ろうとしていたはずのものを変える覚悟さえ求められる。そうした圧力が恋愛の形をつくる一方、二人のどちらかを「心に従え」という教訓に還元することはない。この映画が最も心に響くのは、愛情と野心が異なる方向へ二人を引っ張るときだ。二人の人生が同じ速さでは進めなくても、支え合う気持ちは本物でありうる。そのことを見つめる眼差しに、映画の優しさがある。
幻想が現実に抗うところ
それでも、『ラ・ラ・ランド』の優雅さは、ときに限界にもなる。この映画のロサンゼルスは、名所やスタジオ、クラブ、月明かりの道を巧みに選び取った街であり、芸術家の苦闘も、現実より整然と描かれている。エンターテインメントの夢の背後にある労働や排除に目を向けはするが、そこに深く踏み込むことはない。そのため、過去のハリウッドへの参照が、周囲に広がる現代の街よりも重みを持つ場面では、ノスタルジーの選び方が気にかかることもある。緻密な作りには感心するが、ときには世界がもっと強くこの幻想に抗ってほしいと思った。
私の心に残るのは、パフォーマンスを会話の一つの形として信じる、この映画の姿勢だ。歌は恐れを目に見えるものにし、共有されたリズムは、次に何が起こるのかという問いをひととき宙に浮かせる。その信頼があるからといって映画が単純になるわけではないが、感情の運びは周到だ。『ラ・ラ・ランド』が問いかけるのは、夢は思い描いたとおりに実現したときだけ価値を持つのか、ということ。その答えは説明よりも、映像や繰り返される旋律、そして振り返ることを覚えた人々の表情によって伝えられる。
参考資料
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