『フォレスト・ガンプ/一期一会』は、空を漂う一枚の羽根から始まる。そのイメージは、この映画の手法を静かに告げている。歴史は途方もなく大きく見えても、偶然に運ばれることがあるのだ。ロバート・ゼメキスは、アラバマ州出身の心優しい男性フォレストを追う。理解力には限りがある彼だが、驚くほどの勢いで公の世界を歩み続ける。この設定がもっとも心に響くのは、彼をすぐに何かの象徴に仕立てようとしないときだ。好奇心旺盛で、言葉を文字どおりに受け止め、感情を率直に表す彼のまわりでは、世界の決まりが変わり続けている。
歴史の絵の中にいる目撃者
この映画ならではの大きな形式的な楽しみは、フォレストを、アメリカが自らを描いてきたイメージの中に置くことだ。デジタル合成によって、彼は大統領やテレビ映像、抗議運動、戦争の記録映像に触れていくが、歴史を陰で動かす存在にされることはない。むしろ彼は、あちこちを歩き回る目撃者となり、公式写真からこぼれ落ちる人間的な細部に目を留めることが多い。記憶とスペクタクルのあいだの移り変わりは、技術を見せつけるための演出というより、思い出をたどる感覚に近いほど滑らかだ。手仕事の大胆さがはっきり見える場面でさえ、そう感じられる。
トム・ハンクスは、空っぽな表情ではなく、緻密さによってフォレストを演じている。まっすぐな視線、慎重な間の取り方、姿勢のわずかな変化からは、無垢さを戯画化した人物ではなく、いつも言葉を真剣に受け止める人の姿が伝わってくる。ゲイリー・シニーズはダン中尉を演じ、怒りと誇りがひとつの身体に同居する、異なるリズムをもたらす。ロビン・ライトが見せるジェニーの警戒心と、何かを探し求める気配によって、恋愛物語はすっかり浮ついたものになるのを免れている。脇を固める俳優たちの演技は、フォレストの開かれた心が美徳というより、彼のそばにいる人々にかかる重圧でもあると感じさせる。
アラン・シルヴェストリの音楽と時代ごとの楽曲は、エピソードを重ねていく物語の底に、心を動かす流れを生み出している。音楽は各場面の時代を示すだけではない。世の中の出来事が彼のまわりを通り過ぎるなか、フォレストの個人的な旅に鼓動を与える。時代ごとの出来事が、そうでなければスクラップブックのようにばらばらになってしまうところを、走ること、視線を交わすこと、ただ待つことといった繰り返し現れる身振りでつないでいく点にも惹かれる。もっとも印象深い場面は、壮大な歴史的背景が消え去り、ひとりの人がもうひとりの声に耳を傾けているような場面であることが多い。
あたたかさが限界に触れるとき
それでも、この映画のあたたかさは、ときに物事を思いどおりに整える力へと変わってしまう。激動のアメリカ史を、複雑なことを難なく受け止めるフォレストの視点から描くことで、暴力や政治的対立をとっつきやすくしているが、あまりにも簡単に飲み込めるものにしてしまうこともある。とりわけジェニーには、脚本が大筋では理解していても、細部の手触りまでは描ききれていないような過酷な道のりが与えられている。彼女の痛みは、フォレストの物語を深めるために配置されたもののように感じられることがある。映画を親しみやすくする洗練された魅力は、矛盾をなめらかに覆い隠しかねない。もっと強い抵抗を促すべき問いに、感情で決着をつけさせてしまうのだ。
それでも心を引きつけるのは、フォレストが偶然に重要な人物となることと、彼が人に心を配ることのあいだにある緊張感だ。この映画は、彼に世界の謎を解くよう求めないし、そこに居場所を得るために賢くなる必要もないと考えている。その考え方は、周囲の物語がお涙頂戴に傾くときでさえ、寛大に感じられることがある。映画を見終えて思うのは、描かれたアメリカ像が完全かどうかよりも、その独特なまなざしについてだ。前へ進み、人々の顔に気づき、どんな瞬間もありふれたものとは取り違えない人生。そのまなざしが心に残る。
参考資料
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