ゴシック・ファンタジー映画ノート · ゴシックな異形と郊外の排除を描くファンタジー · ハサミの手を持つ異形の労働とケア、パステル郊外の好奇心と排除、愛情の境界 · 1990

『シザーハンズ』レビュー:ハサミの手が映す、やさしさと排除の境界

ティム・バートン監督の『シザーハンズ』を、ハサミの手が示す労働とケア、パステル郊外の好奇心と排除、エドワードとキムの距離、ゴシックな舞台設計から読み解く。

ティム・バートン監督の『シザーハンズ』は、1990年の米国劇場公開作で、日本では1991年7月13日に公開された。発明家に作られた未完成のエドワードは、ハサミの手のまま丘の上の屋敷から町へ下りる。異形を閉じ込めず、「何ができる身体なのか」と問い直す導入が、この寓話の基礎になる。[1] [2] [4]

ハサミの手が映す、労働とケア

ハサミは欠損の印であると同時に、仕事の道具でもある。髪を切り、庭木を彫るエドワードは、「役に立つこと」を通して受け入れられる。だが刃は抱擁や握手を拒み、善意だけでは危険を消せない。労働を提供できる身体だけを歓迎する町の態度が、ケアの条件の狭さを露わにする。[1] [3]

AFIがいうパステル色の郊外は、無垢な避難所ではない。住民の好奇心は珍しい手を見世物にする視線へ変わり、便利さが薄れると噂と恐怖が前に出る。明るい家並みと丘の上のゴシックな屋敷を隣り合わせる構図は、怪物が町の外ではなく、正常さを演じる共同体の側にもいると示す。[2] [3]

キムとの関係は、異形の青年が恋によって「普通」になる話ではない。キムはエドワードを好奇心の対象として見つめるが、触れられない距離と町の圧力を知り、彼を所有しない選択へ近づく。二人の空白は、恋愛の成就より、相手を傷つけずに守る難しさを前景化する。[1] [2] [4]

パステルの町と、ゴシックな孤独

バートンのゴシックは暗い城だけに置かれていない。曲がった屋敷の線、雪の白さ、人工的に均された町の色が、エドワードの内外を同時に絵にする。BFIのいう「居場所のなさ」は、台詞より身体が画面のどこに置かれるかで伝わる。可愛らしさは恐怖を薄めず、排除が日常の顔で進む不気味さを強める。[3]

住民を類型的に配し、後半の排除を寓話として急ぐ面はある。それでも、ハサミを怪物の記号にせず、働く手、触れられない手、誰かを守るために止まる手として描いた点は強い。『シザーハンズ』は、やさしさが異形を包摂するという結論ではなく、好奇心から始まる歓迎が消費と恐怖へ変わる速さを問う。[2] [3]

参考資料

作品情報は以下の資料を参照しています。

  1. シザーハンズ
  2. EDWARD SCISSORHANDS
  3. Where to begin with Tim Burton
  4. 映画「シザーハンズ」

10eKokoroが書いています

台湾出身で映画を愛するバリスタ、10eKokoroの映画ノートです。

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