日本の成人向け映画史20選 · ピンク映画 · 夢と現実、覗見の視線、制度の権力 · 1964

見ることの悪夢――武智鉄二『白日夢』論

武智鉄二が谷崎潤一郎の小説を映像化した1964年の『白日夢』を、夢と現実の境界、診療室の音響、劇場的構図、見ることの権力から読み解く非露骨な映画評論。

成人向けの題材を含む作品を扱う評論です。性的題材は映画史と映像表現の文脈から非露骨に論じています。

一九六四年六月二十一日、松竹が公開した『白日夢』は、谷崎潤一郎の同名小説を武智鉄二が脚色・監督した作品である。大手配給会社が広い観客に向けて送り出したこと自体が、当時の映画産業にとって一つの事件だった。性を扱う映画を周縁の見世物に閉じ込めず、文学、舞台芸術、実験映画の語法へ接続しようとする野心が、冒頭から画面を不穏にしている。これは単なる風俗映画ではなく、見ることと見られることの制度を、劇場の内部から揺さぶった出発点として読むべきだ。さらに物語の舞台を日常の診療室から都市の公共空間へ広げることで、私的な幻想を社会の問題へ反転させている。[1]

作品の位置づけ

歯科診療室は、日常的な治療の場所であると同時に、他者の身体を専門知と器具によって管理する制度の空間でもある。武智はこの二重性を、器具の接写、診察台の配置、人物の視線が交差する構図によって強調する。とりわけ機械の回転音や金属音、反響するノイズは、旋律による説明を退け、観客を診療室の緊張へ直接巻き込む。画面は肉体を消費するよりも、医師の権威が不安を生み、患者の沈黙を対象化する過程を、映像と聴覚の両方で露呈させるのである。診察という合理的な手続きが、音とフレームの圧力によって悪夢の装置へ変わる。その変化こそ、日常に潜む支配の輪郭を可視化する。[2]

麻酔を契機に、千枝子をめぐる出来事は現実とも夢とも断定できない断章へほどけていく。物語は因果を滑らかに説明せず、診療室、閉じた室内、街路、屋上という異質な場を継ぎ合わせる。その飛躍は、青年が誰かを救おうとする願望と、相手を遠くから眺めたい欲望が、同じ心理の裏表であることを示す。夢の中の出来事を単なる妄想として片づけられないのは、現実の制度や男性中心の視線が、夢の形を借りて反復されるからだ。観客もまた、青年と同じ位置から画面を見ているという不快な自覚へ導かれる。語り手が信頼できないのではなく、見る者の立場そのものが揺らいでいるのである。[2]

作品の空間設計には、武智の舞台芸術への関心を思わせる、正面性と反復の感覚がある。室内は写実的な部屋というより、人物の身振りと視線を配置する演目のように組み立てられ、画面外の気配まで観客に想像させる。歌舞伎や能を連想させる静止、誇張された所作、突然の移動が、写実的な時間を断ち切り、現実を一種の儀式へ変える。そこへ歪んだ弦の響きと余韻の長い音響が重なり、物語の恐怖は台詞よりもリズムとして増幅される。見る者は筋を追うより先に、画面の反復と空白に拘束されるのである。こうした劇場性は、現実逃避の飾りではなく、権力関係を誇張して見せる批評の方法になっている。[2]

映像・音響と権力

逃走の先に現れる百貨店の屋上や、人形だけが残されたように見える空間は、都市の公共性を奇妙な舞台へ変える。さらに雑踏のなかで異変を訴えても誰も応じない場面は、個人の苦痛が社会によって見えないものにされる仕組みを浮かび上がらせる。千枝子は男性たちの対立を成立させるだけの幻想的な媒介ではなく、医師、青年、そして観客の欲望が集中する権力の場として刻まれる。作品が暴力を美しく正当化するのではなく、救済を名乗る視線まで問い返す点に、今日的な批評性がある。都市の群衆は傍観者であると同時に、見ないことで制度を温存する共同体でもある。幻想の終わりが現実の解放を保証しないところに、作品の苦い社会認識が残る。[1][2]

本作の歴史性は、刺激の強さだけでなく、商業公開の規模と実験映画の形式を同時に選んだ点にある。公開をめぐる反発や検閲との緊張は、何を映せるのかという問題を、作品の外側にも押し広げた。後にピンク映画の歴史を語る際の重要作とされるのは、既成のジャンルに従ったからではなく、夢、音、編集、舞台的な構図を組み合わせ、観客の欲望そのものを主題化したからだろう。今日この映画を見るとき、古びた挑発性だけを消費するのではなく、誰が見る権利を持ち、誰の苦痛が見世物になるのかを検証したい。権力を美化せずに映像の快楽を問い直す、その緊張こそが『白日夢』を現在まで残している。映画史上の位置づけも、単純な「最初」という称号ではなく、周縁的な題材を大規模な公開と高度な形式へ結びつけた矛盾の産物として捉えたい。[2]

参考資料

作品情報は以下の資料を参照しています。

  1. 白日夢
  2. Film Review: Daydream (1964) by Tetsuji Takechi

10eKokoroが書いています

台湾出身で映画を愛するバリスタ、10eKokoroの映画ノートです。

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