『リメンバー・ミー』は、一見すると単純な対立から始まる。ミゲルは音楽を愛しているが、リベラ家では音楽が、家族の者なら誰も手を出してはならないものとされている。この物語に弾みを与えているのは、両者の対立を自由と抑圧の争いとしてではなく、異なる形の愛情の衝突として描くところだ。ミゲルの願いは切実で、個人的なもの。一方、家族の決まりは、自分たちを守ってくれると信じる物語によって形作られている。だからこそ本作は、受け継がれるものが、安らぎの場にも、閉ざされた扉にもなりうることを見つめる成長譚となっている。
記憶と音楽が築く世界
本作の最も際立った魅力は、映像にある。サンタ・セシリアは陽光に満ち、手仕事のぬくもりがあり、人々の暮らしが感じられる町だ。いっぽう死者の国は、記憶によって築かれ、歴史を広げ続ける都市として、幾重にも重なる華やかな姿で立ち上がる。マリーゴールドの花びらは世界と世界をつなぐ光り輝く道をつくり、家族の祭壇は、写真や食べ物、花、心を込めて置かれた品々を通して、追憶を手で触れられるものにする。こうした細部は、ファンタジーを飾るだけではない。過去は生者の背後にあるのではなく、そのすぐ隣に並べられ、手入れされるのを待っている――そんな、明確な感情の地図を描き出している。
音楽は、その地図をさらに先へ運ぶ。メキシコの音楽の伝統、オリジナル曲、マイケル・ジアッキーノのスコアによって、音楽はミゲルが勝ち取りたい賞というより、人々が互いを認め合うための言葉として感じられる。声の演技も見事だ。アンソニー・ゴンザレスは、ミゲルのまっすぐで落ち着かない誠実さを表現し、ガエル・ガルシア・ベルナルは、ヘクターの冗談の端にほころびをにじませる。大げさな喜劇役の登場人物にも、それぞれ生き生きとしたリズムがある。一つの歌に、家族の言い争いも、人前での演奏も、ひそかな願いも同時に込められることを、本作はよく分かっている。
私がとりわけ心を引かれるのは、記憶の描き方だ。追憶を壮大な記念碑として示すのではなく、ありふれた注意の行為に託している。名前を口にすること、写真を飾ること、旋律を受け継ぐこと――そうしたしぐさによって、アイデンティティは誰か一人の所有物ではなく、人々が分かち合うものとして感じられる。本作のメキシコは愛情を込めて作り上げられており、通りや工房、墓地、祝祭の手触りには、入念な調査の跡が見て取れる。その丁寧さが大切なのは、この物語が、漠然とした異国情緒ではなく、固有の慣習を通じて一つの文化に触れることを私たちに求めているからだ。
感情を意味へと変えることの代償
それでも『リメンバー・ミー』は、ときに、いつつまみを回せばいいか心得た機械のような確かさで、観客の感情に働きかけすぎる。物語の真相はおなじみの順序で明かされ、家族と芸術的自由をめぐるメッセージは、そこに至る複雑な選択に比べると、いくらか整いすぎて聞こえることがある。登場人物の多い世界のなかで、十分に掘り下げられず、象徴的な存在にとどまる人物もいる。それでも、その完成度は空虚なものではない。感傷が最も説得力を持つのは、それが何を意味するのかを言い立てず、小さなしぐさにとどまるときだ。
私の心に残るのは、帰属意識と自己表現を、いつまでも敵同士として描かない本作の姿勢だ。ミゲルはただ伝統から逃げ出すのではなく、家族も彼を取り囲む壁のままではいられない。二者の関係は、まるで古い旋律に、誰も気づかなかった音が含まれているかもしれないかのように、あらためて聴き直されなければならない。この考えが、色彩とスペクタクルの下にある『リメンバー・ミー』の静かな力を生んでいる。寛大なアニメーション映画であると同時に、思慮深い作品でもある本作は、過去を生きた対話として、音楽をその対話が始まる部屋として描いている。
参考資料
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