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2008年02月28日

◆アブグレイブ刑務所に関して新たに公開された写真  [World]

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アブグレイブ刑務所に関して新たに公開された写真

※リンク先は非常にショッキングな内容ですので嫌な人は行かないで下さい。

日本でもニュースで多少は報道されたので知ってるかと思いますが、イラク戦争において捕虜が虐待されてその内容が報道されて世界的に非難を浴びた場所です。
Wikipedia:アブグレイブ刑務所

この写真は、心理学者であるフィリップ・ジンバルドさんと言う人がTEDカンファレンスのプレゼンテーションのために実際にアブグレイブで撮影された映像を編集し、されにそれをこのWired.comさんが入手して静止画にして公開しているもののようです。
(TEDカンファレンスってのはカリフォルニアで年一回開催される公演のことで、後援者には著名な有名人が多いことで知られているそうです。Wikipedia:TEDカンファレンス

写真はかなりショッキングなモノですのでそのつもりで。
特に2枚目はおそらく既に死んでいると思います。「どれほどの人間が正常な状況下で悪魔になれるのか?」って(書いてあるの)。
それは戦争と言うもの自体を指しているのか?この人たちの行為を指してるのか?ってのはエルエルにはわからん。


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2008年01月28日

◆The Auschwitz Experience: Museum of Holocausts  [World]

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The Auschwitz Experience: Museum of Holocausts

これは日本でも知らない人はいないと思いますが、第二次世界大戦当時にナチスドイツがポーランドに建設した収容所のスライドショーの映像です。
カラーの写真についてはこの映像の製作者の人が実際に旅行に行ってこの地を訪れた時に撮影されたものだそうで、白黒の当時の写真についてはさまざまなところで撮影されたものだと思います。

収容所は全部で3つ建設され、アウシュビッツ収容所、ビルケナウ収容所、モノヴィッツ収容所が作られましたが、モノヴィッツ収容所は終戦後にソ連軍によって破壊されたために現存はしません。おそらくアウシュビッツのイメージとして日本などで有名なのは第二収容所であるビルケナウ収容所だと思います。ここは絶滅収容所などとも言われています。あの長い線路のレールがあるところ。

映像の最初に出てくる鉄製の看板は、あれはおそらくはアウシュビッツ第一収容所のモノだと思いますよ。「ARBEIT MACHT FREI」っと言う有名な言葉で、「働けば自由になれる」って意味だそうですが実際には働いても自由になることなどはありませんでした。看板の「B」の文字が上下逆さまになっているのが収容された人たちの最大限の抵抗だった・・・なんて説もありますが、真偽のほどはわからないみたい。
このアウシュビッツ第一収容所にあったガス室などは戦後に復元されて一般に公開されています。

この映像を見てどうしろって言う内容のモノでもありませんが、戦争の記憶薄れゆく今後の世代にはこういうのも大切だと思いますよ。

Wikipedia:アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所


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2007年11月20日

◆MISS LANDMINE  [World]

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MISS LANDMINE

Landmineってのは地雷のこと。
アンゴラで地雷で足などを失ってしまった女性達によるミスコンテストです。なんでも今年の9月にノルウェーのオスロで開催されたそうで、現在でもインターネットで投票などを受け付けています。

「誰でも美しくなる権利がある」って。
もちろん女性としての美しさを競うって言う目的もあるんでしょうけど、その裏の大きな目的はやはり世界的な地雷の啓蒙と根絶にあるんだと思います。

アンゴラでは27年間も続いた内戦によってあちこちに地雷が埋められており、その総数は800万とも1500万個とも言われてるそうで、これはアンゴラの人口をも上回る数です。
内戦が終わったのは2002年と結構つい最近のことで、地雷の撤去はまだまだ初期段階でありさらには地雷の危険性を知らない人たちも多いそうです。

JICA:「地雷最汚染国」 アンゴラのいま
足を失うなどした負傷者は8万人にも及ぶそうです。さらに治療を受けることも出来ずに死亡する人も相当数いるそうです。


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2007年10月06日

◆ダイアナさんの事故に関して新たに公開された写真  [World]

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ダイアナさんの事故に関して新たに公開された写真

今から10年前の1997年の8月31日ダイアナさんが事故死した時の実際の写真です。
パパラッチとかがコッソリとネットに漏らしたものではなく、イギリスの事故の査問委員会が公式に公開した写真です。そもそも、事故の時にいたパパラッチの撮影した写真などはすべてイギリスの警察によって押収されていますが。これらの写真はエルエルも始めて見ました。

写真1枚目がまさに事故直前の写真らしいのですが、その写真について海外ではすでになんかこの写真変じゃない?的な論議があったりもします。
「謎の光源」についてみたいですが、ダイアナさんの髪の毛の部分に影になっているのはバックミラーの影だと思うのですけど、その影のことを考えるのならば助手席に乗っているガードマンのトレバー・リース・ジョーンズ氏の顔にはサンバイザー(車の日よけ)の影が出来てもよさそうなモノですけど写真には存在しないのです。
確かに複数台のカメラのストロボなどによってたまたまこうなったのかもしれませんけど、言われてみるとなんともバックミラーの影だけが妙に激しいですよネ。

未だにこの事故についてはいろいろな謀殺説などが取りざたされていますけど、真実は未だに闇の中なんでしょうかネ・・・。

>>この記事には続きがあるよ "ダイアナさんの事故に関して新たに公開された写真"

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2007年09月27日

◆Auschwitz Photos  [World]

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Auschwitz Photos

ニューヨークタイムズがやってるいろんな写真のスライドショーシリーズのアウシュヴィッツ版です。
おのずと知れたナチスが作った強制収容所なのですが、写真はエルエルもかなり今までに見ましたけど今回のはその収容所のナチスの人たちの日頃の風景の写真なのです。こういう写真は結構初めて見ました。
まーこの裏ではあの惨殺が行われていたワケですが・・・・。

ナレーションをしゃべってるのはアメリカにあるホロコーストに関する施設の人みたいですネ。


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2007年09月15日

◆新世界七不思議をパノラマで  [World]

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新世界七不思議をパノラマで

今年の7月7日に発表された新世界七不思議ですネ。
これは世界中からの投票に決められたそうで、現代版の世界七不思議ってヤツです。詳細はWikipedia:新世界七不思議とか読むと吉。

その七カ所をQuickTimeのQTVRパノラマによって見ることが出来るのですよ。
エルエルが一番スゲェと思ったのはペルーのマチュピチュかな。ほんとのものすごい山の中にあるんですネ。

ちなみにその新世界七不思議は以下の通り。
チチェン・イッツァのピラミッド(メキシコ)、イエス・キリスト像(ブラジル)、万里の長城(中国)、マチュ・ピチュ(ペルー)、ペトラ(ヨルダン)、コロッセオ(イタリア)、タージ・マハル(インド)

Wikiepdiaの世界七不思議なども参考にすると吉。
本来の世界七不思議ってのは古代のローマとかにあった巨大な建造物のコトを言うんですよネ。今はもうみんな残ってないけど(ギザのピラミッドだけあるね)。
ちっちゃい頃にエルエルはママに世界七不思議の絵本を買ってもらったよ。ちっちゃい頃からそういうガキだったのよネ・・・。あと心霊写真の本を自分で買って自分で夜怖くて寝れなくなったこととかもあり。意外にエルエルはプリチーな子なんです。


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2007年09月03日

◆ネパールのあの仏陀の生まれ変わりの少年が民衆の前でスピーチ  [World]

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ネパールのあの仏陀の生まれ変わりの少年が民衆の前でスピーチ

※リンク先に実際の動画がありますよ。お顔も結構アップで見れますよ。

ちょっと前に日本でもかなりニュースになったネパールにいる仏陀の化身と言われる少年Ram Bahadur Bomjomさんです。今年の8月2日に民衆の前でスピーチをしたそうで、3000人もの人が集まり地元のラジオ局も来ていたらしい。
んでもって肝心なお話の内容なのですが、しゃべっているのは地元のネパール語を話していたそうで動画を見ても一向に意味わかりません。

Ram Bahadur Bomjom, the Buddha Boy, Starts Preaching: Arrival of a Meditation Guru or a Religious Zealot?
などなどを読ませてもらうと何となく書いてあるのですが、「この国を救う唯一の方法は宗教を通して救うことだけです」っとつまり宗教(仏教)の大切さを説いたのだと思いますよ。そしてさらに彼は民衆達に自分のことを疑わなく、そして自分の心を乱さないようにとお願いしたそうです。(つまり静かに見守っていて下さいっと言うことかと)

ちなみにお名前は日本語だとラム・バハドゥル・ボムジャンっと読むらしい。おそらく現在17歳だと思います。


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2007年08月06日

◆現在のアウシュヴィッツの様子  [World]

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現在のアウシュヴィッツの様子

ポーランドに残るナチスドイツが作った強制収容所です。
っと、日本人でそんな説明をしないと知らない人ってのは多分ほとんどいないと思いますが、この写真は最近の写真だと思いますよ。(白黒のモノは当時の古い写真です)

ナチスドイツはポーランドに3カ所の強制収容所を作りましたが、第一収容所のアウシュビッツ収容所、第二収容所のビルケナウ収容所、第三収容所のモノヴィッツ収容所がありましたが、モノヴィッツ収容所はソ連軍により破壊されたので現在は残っていません。
写真はアウシュビッツ収容所と、下の方はビルケナウ収容所の写真です。

アウシュビッツ収容所の入り口に掲げられていた「ARBEIT MACHT FREI」ってのは「働けば自由になる」って言う元々はドイツ人の作家が書いた本のタイトルなんだそうですが、ナチスドイツが収容所のスローガンに使ったために有名になった言葉。
ちなみに実際には働いても自由になることは絶対にありませんでした。この看板の「B」の文字が上下逆さまに見えるのですが、それはこの看板を作らされたユダヤ人の人たちの最大限の抵抗だった・・・って言われていますが、実際のところはハッキリしないらしい。

Wikipedia:アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所


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2007年07月29日

◆Historical Sounds in MP3 Format  [World]

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Historical Sounds in MP3 Format

ちょっぴり世界の歴史的な人物のスピーチやらをMP3で聞けるようにしてくれているサイトさんです。
まー日本語のは一つもないし、そもそも英語ですらないのもたくさんあるんですけどそれでも歴史的な人物の声を聞いてみるだけでも十分に面白いですよ。

名前を見れば大体の人は知っていると思いますけど、チェ・ゲバラとかヒトラーとかレーニンとかをなんとなく聞いてしまったエルエルは社会不穏分子として国家公安委員会に明日あたり連れ去られるんじゃないだろうか・・・っと今からドキドキです。

フランクリン・ルーズベルト大統領の日本に対する宣戦布告の演説もありますネ(今の大統領の演説などもそうですけど、とにかく当時敵であった「ジャパンとかジャパニーズ」って言う単語が連呼されています。先日行われたブッシュのアルカイダに対するモノでもものすごい回数「アルカイダ」って連呼されてニュースになってましたネ。これは大統領専属のスピーチ原稿を書く人たちが作っているんですけどネ。なんともこのころからアメリカらしいと言えばそうなのかも)。
あとはトルーマン大統領の日本に対する原爆投下に関する演説もあります。

別に聞いても面白いモノではないかもしれないけど、日本の歴史に深く関わる演説です。


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2007年07月18日

◆有名な報道写真いろいろ  [World]

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有名な報道写真いろいろ

基本的にロシア語で書いてあるんですけど、World Press Photoが掲載とかした写真みたいで1955年から2006年のモノみたいです。一番下の方には今回のイラク戦争のモノなどもありますけど、基本的にはベトナム戦争くらいまでのモノが多いです。

写真の撮影者の名前が写真の下に書いてあるんですけど、写真だけ見ても結構有名な写真もたくさんありますのでご存じのも多いかと。
日本の写真もあって、真ん中辺にある壇上で学ランを着た少年が包丁を構えている写真は、1960年に日比谷公会堂であった当時の日本社会党の委員長であった浅沼稲次郎氏が17歳の右翼の少年によって暗殺された事件。この写真を撮影した長尾靖氏はこの写真で日本人初のピューリッツァー賞を受賞しています。
Wikipedia:浅沼稲次郎暗殺事件を読むと、手に持っているのは包丁ではなくて銃剣だそうです。ちなみにこの少年は少年鑑別所で自殺しています。

あとは、写真の下をよく見ると撮影者の名前に沢田教一さんの写真がありますネ。(ウチのサイトでサムネイルになってるのもそうです)
この人は日本で映画にもなったので有名かと思いますが、日本を代表する報道カメラマンの一人。ベトナム戦争を撮影した写真が今なお鮮明に伝えられていますが、その後のカンボジア内戦を取材中に狙撃され34歳の若さで亡くなっています。

・・・・・・・・。
政治家が何を語ろうと、そんなものよりもたった一枚の写真が世界を動かすと言うモノです。

ロシア語を読みたい人は、AltaVista翻訳でロシア語から英語に変換して読んでクレ。日本語には出来ないっす。英語に翻訳する分にはかなりの精度ですよ。


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2007年07月06日

◆スペイン列車テロの追悼モニュメント  [World]

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スペイン列車テロの追悼モニュメント

2004年の3月11日にスペインのマドリードで発生した連続爆破列車テロの追悼碑モニュメントとして作られたものです。スペインのAtocha駅に建立されたもので、この駅ではテロの時に10個の爆弾の内7個が爆破され、そして191人が犠牲となり2050人が負傷したそうです。

15万個もの湾曲したガラスブロックをアクリル材で接着して作られているそうで、日の光が上から注ぎ日中は幻想的に光り、夜間は電気で照らされるそうです。
このモニュメントの精神は、すべての人々のメッセージや気持ちをくみ取り彼らのために永遠をもたらすことなんだそうです。

・・・・・・・。
あのテロの時は発生当初はアルカイダではなく、スペインから独立を目指すETA(バスク祖国と自由)っていうグループの犯行説をスペイン政府はぶちまけましたけど、結局はアルカイダがらみのテロであることが判明してその直後にあった選挙に多大な影響をもたらしましたネ。まーアスナール政権がイラク戦争に参加したこととテロの関連を隠そうとしたって言われてますが・・・。選挙で結局負けたけど。

テロなどでの追悼モニュメントの作り方などは様々なものがあると思いますけど、ここまで大かがりで人目につくモノを作ったってところに、あのテロがいかにスペインの人たちに深い傷跡を残したのかってのがわかるような気がします。


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2007年06月20日

◆ネパールの生き神様「クマリ」  [World]

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ネパールの生き神様「クマリ」
(リンク先に写真がありますよ)

エルエルも初めて知ったのですけど、こちらの少女は「クマリ(kumari)」っと言われるネパールの生きてる女神様なんだそうです。ネパールは日本と同じように様々な神様がいる多神教を重んじていて(国家的にはヒンズー教徒がほとんどですが)、その中の一つにこの生きている人間の神様「クマリ」がいるんだそうです。
彼女は通常はネパールの首都カトマンズのダルバール広場のとなりにあるKumari Bahalと言うところに両親と一緒に住んでいるそうです。彼女は生まれてからずっと神様っと言うわけではないらしく、4歳から初潮を迎える前の少女達の中から32もの選考過程をクリアした少女の中からさらに選ばれるんだそうです。

一度クマリになったからと言って一生神様というわけでもなく、彼女たちは身体的に初潮を迎えた時、もしくは大量の血を流す事故などにあったときには神様ではなく再び人間になり、そして新しいクマリが選ばれるんだそうです。
あとは詳しくはこの辺を読ませてもらって→生き神様クマリ
この生き神様が誕生したきっかけの一つを言われているのが1700年代の王様がペドで少女を無理矢理アレしてしまいそれが原因で少女が死んでしまったことへの償いとして少女を神様とたたえるようになったんだとか。

んでもって話は変わって。
リンク先の写真はこれまた珍しく、これはアメリカで撮影された写真なんです。
このクマリってのは普通はネパール国外で出ることは滅多にないそうで、アメリカに来たのもこの時は初めてのことらしくSilverdocs festivalでのこのクマリのドキュメンタリーに出演するために訪米したそうです。

アメリカに住んでいるネパール人の人などは、彼女の足にキスをしてそして一緒に写真を撮影する順番を並んだり、中には彼女に会えたことへの感激で泣いている年配の方もいたそうです。
彼女は名前を「Sajani」と言い、宗教的な儀式は日々あるそうですが神様と言えど普通の子と同じように学校に行っているそうです。

撮影者の人によるFlickr写真集はこちら

・・・・・・・・。
神様と言えど、笑ってる顔とカメラで写真を撮影してる無邪気そうなところはまだまだかわいい女の子って感じですネ。

※後日付け足し
ちょっくら教えてもらったのですが、このクマリちゃんってのは首都のカトマンズに住んでいる子の他にも各地方の都市などにもいるんだそうです。
基本的にはやはりカトマンズの子が一番有名で、その子は普通の子と一緒に学校に行くことなどもなくつまり本当に神様みたいな扱いをされているそうです。今回の子はBhaktapurと言う都市のクマリちゃんであるそうで、カトマンズのクマリちゃんとは生活などは結構違うそうです。それでも神様であることには違いありませんのでみんなからはとても愛されているんだそうですけどネ。


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2007年04月04日

◆リトアニアにある「十字架の丘」  [World]

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リトアニアにある「十字架の丘」
(リンク先に写真がいっぱいありますよ)

実はウチのサイトに登場するのはかれこれ3回目だったりするのですが、まー誰も覚えて無さそうなんでまた書いた。
これはリトアニアの北にあるSiauliaiって町にある無数の十字架が集まっている丘なんですが、一番最初にこの場所に十字架が置かれたのは14世紀のことで、それから十字架以外にもロザイオやマリア様の像などなど様々なものが置かれました。これは諸外国からの侵略などに対する抵抗と、同時に平和の象徴として十字架などが立てられ始めたと言われているそうです。

そして時代は数百年進んで、1795年にリトアニアは当時の帝政ロシアに併合されます(第三次ポーランド分割によって)。そして1918年には再び独立をしますが、1944年に再び当時のソ連邦によって占領されます。そして1990年のソ連邦解体までソ連の支配が続きました。

そのソ連がリトアニアを支配していた時代、リトアニアの人々は自国への忠誠や愛を示すためにこの十字架の丘を訪問したそうです。ソ連はそんな人達の行動を実力行使で阻止すべく、1961年、1973年、1975年の3回に渡ってこの十字架の丘を破壊しました。
しかしその度に人々は再び十字架の丘を再建し、ソ連も1985年には破壊するのを諦めたそうです(もっともその頃はソ連自体がなくなりかけていた時期ですが)

1993年の9月7日に前法王の故ヨハネ・パウロ二世がこの場所を訪れ、そして「ここは希望、平和、愛、そして犠牲の場所である」と言ったそうです。

こちらにも同じ場所の写真があります
かなり珍しい1900年代前半の写真もあります。


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2007年03月27日

◆ソ連のスターリン時代の強制収容所  [World]

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ソ連のスターリン時代の強制収容所
(リンク先に写真がいろいろありますよ)

これはソビエト時代の強制労働収容所の写真で、現在はもう既に人っ子一人いなく朽ち果てています。
スターリン時代のモノらしいので、第二次世界大戦前のモノです。ここではあのホロコーストをも上回る5000万人もの人が亡くなったって書いてあるんですが、その数字の真偽に関してはエルエルもワカラン。(いくら何でも多すぎないか?っと正直思う。ホロコーストでは約1000万人くらいの人が殺されたとされています)

現在はこの場所には全ての道路がつながっていない状態で、上空からヘリコプターで行くしかない状況でスターリンが死んだ1953年にこの場所は放置されたそうです。スターリンの死と同時に恩赦が言い渡されて、囚人と番人の全ての人が速やかにこの場所を捨てたそうです。
「enemies of the state」(つまり「ソビエト連邦の敵」と呼ばれた政治犯が収容されたもので、人々は木製の宿舎に入れられほとんど食料も与えられず劣悪な環境下で働かされ死んだそうです。

歴史家によると、この収容所は1932年に始まり1937年頃にはピークを迎え、1941年になると一端収容される人が減ったそうです。第二次世界大戦が始まったからです。囚人は「この強制収容所に入るか?それとも戦争に行くか?」ってのを選ぶことが出来たそうです。そして1945年になって戦争が終わると再び数百万もの人が収容所に戻されたんだとか。

リンク先に「橋」の写真がありますが、その橋も囚人の人達によって作られたそうですが、完成の前にスターリンが死んだのでとうとう一度も使われることはなかったそうです。
また、イガルガとサレチャードと言う町を結ぶ900kmもの道路を1949年から1953年にかけて作ったそうなんですが、その工事の間に30万人もの人が亡くなったそうです。尚、現在はその道路はどこにもつながっていないまさに死の道となってしまっているらしい。

・・・・・・。
ソビエト連邦がレーニンによって誕生したのが1922年で、そのわずか2年後の1924年にレーニンは死去して後釜にスターリンがつきます。スターリンはこの強制収容所を見てもわかるように反対派を片っ端から殺して独裁体制を築きました。この強制収容所もその一端であろうと思います。

Wikipedia:ソビエト連邦には1200万人が粛正されたって書いてありますけど、正確な数字はエルエルにもてんでわからん。


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2007年03月13日

◆イラク戦争犠牲者を追悼する無数のフラッグ  [World]

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イラク戦争犠牲者を追悼する無数のフラッグ

アメリカはオレゴン州のポートランドにあるリールカレッジって言う学校の校庭に立てられた無数の旗。
これはイラク戦争で亡くなった人達を追悼するためのモノで、白と赤いフラッグが見えると思いますがそれぞれには意味があります。
無数の白いフラッグはイラク戦争開戦以来亡くなったイラクの人達を表し、赤いフラッグは同じく戦争によって亡くなったアメリカの軍人を表しているそうです。
ちなみに去年の10月の写真だそうです。

戦争の是非の問題ではなく、戦争の悲惨さを伝えるディスプレイですネ・・・。


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2007年03月07日

◆パリのカタコンベ潜入映像  [World]

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パリのカタコンベ潜入映像、Part 1

Part 2はこちら

※パート1とパート2があります。パート1は主にその潜入ミッションまでの準備などの映像で、パート2では実際のカタコンベ内の映像などが流れます。

カタコンベってのはフランスだけでなく世界各地にある「地下墓地」のことです。
特にフランスのパリの地下にあるものが有名で、数百万体にも及ぶ遺骨が今でも眠ってるって言われています。
地下墓地のトンネルの数は数百もあるそうで、そのほとんどが地図にも載っていないそうです。
今回の映像はそんな知られていないトンネルへの潜入ミッションで、地下にあることで日光もまったく当たらないまさに真っ暗闇の世界。映像では実際に無数に散らばる人骨の映像などもあります。

この地下墓地ってのはリンク先には18世紀に多く作られたってありますけど、もう少し前からあったと思います。ペストなどの疫病で一度に大勢の人が亡くなったりすると、墓地に埋葬するにもその場所すらないような状況でそのためにこの地下墓地に埋葬されました。
今では考えられないと思いますが、当時はペストなどが一度流行すると町の人口の数十%の人などが亡くなることもあったので遺体を埋葬ことすら出来ないような状況だったんだと思います。

ちなみにパリではこのカタコンベを一般に開放してる場所もあったと思いますよ。


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